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更新日:2021年2月24日
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閻魔堂
えんまどう
閻魔堂は、杉木立に囲まれて芦峅寺集落の東端に位置しています。かつての中宮寺の諸堂の一つで、閻魔王以下冥官らを祀っています。
文正元年(1466)6月3日の神保長誠寄進状(芦峅文書)には「炎魔堂」と記され、神保長誠が祖母堂(堂)・地蔵堂・炎魔堂の造営のため銭10貫文を寄進しています。また、天正18年(1590)には前田利家が
堂・布橋・帝釈堂などの諸堂とともに閻魔堂の修理をさせています(延宝2年「一山旧記控」芦峅寺文書)。
以後も、度々修理がなされたという記録が見られます。
明治初年、加賀藩の神仏分離政策によって閻魔堂、堂をはじめ諸堂も廃棄するように命ぜられました。
現在の閻魔堂は、昭和3年頃に新しい材料で再建されたため、江戸時代の加賀藩のお抱え大工山上善右衛門の手による建築様式を引き継いではいません。
現在の堂舎は、間口4間、奥行5間の浅瓦葺・流造向拝つき堂で、壇上に本尊閻魔王座像を中心として、木造初江王座像など南北朝時代の作とされる仏像が安置されています。
文政12年(1829)の当山古法通諸事勤方旧記(芦峅寺文書)や天保13年(1842)の諸堂勤方等年中行事(同文書)により、江戸時代の芦峅寺の一山における年中行事の種類と、その際の諸堂の飾付・行事次第・勤行作法などの詳細がうかがえますが、閻魔堂では年間に12度の縁日と5度の節句が行われた旨記されています。
このほか、江戸時代後期には、毎年秋の彼岸の中日に芦峅寺一山により閻魔堂と堂・布橋を利用して布橋灌頂会の法要が執行されました。
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