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更新日:2021年3月17日
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堂
うばどう
堂は閻魔堂とともに、芦峅寺にあった中宮寺の中心となる堂舎でした。その中には、
尊(芦峅寺ではおんばさまと呼ぶ)が本尊として3体、脇立として66体祀られていました。本尊については異説もみられますが、概ね大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来の三尊とされています。
古文書には「姥堂」、「祖母堂」と書かれたものもありますが、堂が正しい名称です。「
」と女に田を三つ重ねた字は辞典にも見当たらず、立山信仰の中で生まれた独特の作字(国字)といえます。
資料に堂がでてくるのは、文正元年(1466)6月の日付がある越中守護代の神保長誠(じんぼながのぶ)の寄進状に「祖母堂」とあるのが、最初です。しかし、享徳2年(1453)の椎名淳成の寄進状にも「三ケ所」(祖母堂、地蔵堂、炎魔堂か)とあるので、建立はもっと古くに遡ると考えられます。
江戸時代の頃の堂舎は、「建築の様式は唐様で、屋根は入母屋造りに唐破風(からはふう)の向拝屋根で、堂の周囲には、縁側がめぐらされていた。柿屋根葺(こけらぶき)6間、梁5間、奥の間2間通し4、各間下表内2間にて半垂木等」と伝えられています。
明治初期の廃仏毀釈に伴い堂舎は破却されてしまい、以後再建されることはありませんでした。
堂のあった付近に、昭和47年に基壇が整備され、天保15年(1844)の銘の入った手水鉢があります。
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