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更新日:2021年3月17日
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むかしあったとぉ~(立山のちょっと昔の話)
立山地獄の存在は、古い時代から知られていました。死後の世界の地獄のそばには賽の河原が存在します。立山では、雷鳥平の端の浄土川の河原が、賽の河原と呼ばれています。ここでは、親よりも先に亡くなった子供が、河原の石をただひたすら積んでいたと考えられました。立山曼荼羅の中にも賽の河原で、子供たちが石を積む様子が描かれています。
この子供たちの供養にと、小さなお地蔵様を造って立山の賽の河原まで背負って運び、お納めして念仏を唱えてお祈りし、登拝するごとに立ち寄って供養をしていたといわれています。ものの話によると、戦前には数百体にものぼるお地蔵様がおられたそうです。当時の子供の死亡率や各地の賽の河原を調べると立山の賽の河原にもたくさんのお地蔵様がおられても不思議ではありません。しかし、現在立山の賽の河原には、僅かな数のお地蔵様しかありません。戦後、交通機関の整備により、登山者が増えたためか、いつの間にかその数が減っていきました。人は豊かさの代わりに何かを失ってしまったようです。
最後に、立山曼荼羅(御絵伝)の解説の中に「立山賽の河原の地蔵和讃」の御詠歌があるので、紹介したいと思います。
帰命頂礼立山の
賽の河原の物語きくにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ 十にもみたらぬ嬰児が
賽の河原に集まりて父上こいし母こいし
恋し恋しと泣く声は
…後略…
皆涙して唱える。
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