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更新日:2021年3月17日
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13宿坊(しゅくぼう)
立山山麓の芦峅寺や岩峅寺には南北朝時代頃に修験者や行者が定着し、宗教村落がうまれました。修験者や行者は農業を生業としながら、ときには立山禅定の修験者や行者に対し宿泊の便宜をはかって次第に住居は生活の場としてだけでなく、修験の行事などを営む場として利用されるようになっていきました。つまり住宅であり、同時に宗教建築でもあり、さらに接客及び宿泊施設でもあった住居、これが宿坊です。
こうした宿坊の起源については、「芦峅寺一山文書」によれば古く室町時代にまで辿るものと推察されます。
1800年頃の芦峅寺宿坊配置図を見ると、享和元年の書上に記してある芦峅寺三十三坊の宿坊並みが確認できます。
なお、天保11年(1801)『立山芦峅寺五ヶ寺組合』によって、当時の宿坊配置も明らかになっています。それによると、江戸時代初期の芦峅寺は、大宮を西端、中宮寺を東端とし、その間に宿坊が並んでいたことがわかります。
芦峅寺では、富山から立山に向かって、ほぼ真東に向かう立山路に面して宿坊が並び、村の出口や裏といった位置に一般農家が建っていました。
芦峅寺の宿坊衆徒は毎年農閑期に「請国檀那廻り」といった配札活動(お札配り)に出て、信徒を立山に誘い白分の宿坊に宿泊させました。
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